Skip to main content

人生いろいろ

最近に人の生と死について何回か話題になったので思うところを残す。

私の祖父は脳こうそくになったが一命をとりとめ、寝たきりになって数年後に
逝った。

寝たきりの時の祖父の目が頭に残る。
元気がなく、うつろなのである。
それでも意識がはっきりしているときは目が生き返る。

昨年、赤ちゃんが生まれた。
生まれたては赤ちゃんも意識がある時とない時がある。
それがだんだん生長して意識が芽生えてくるが、それまでは目がうつろな時がある。

まるで寝たきりの祖父の意識がうつろな状態の目と似ていた。



人生で60歳の時に還暦を迎える。
干支の十二支12年と十干10年とがちょうど最小公倍数で60になるからだ。

まるで、赤ちゃんが生長して、ある時下山が始まり、老いるとともに子どもに
還っていくように思う。
脳は25歳を境に衰えていくらしい。
仕事だと40台が脂がのってくる一番働ける時期だと聞いたこともある。

どっちにしても山みたいなものでどんどん力強く登っていく時期とゆっくり下っ
ていく時期があるようだ。



私の祖父は一命をとりとめて寝たきりだが数年生きた。
私のお世話になったある人は心筋梗塞で突然亡くなった。

人生の終わり方はいろいろある。
私の祖父は寝たきりで生きたことによって私の親を含めた子たちがまとまるよう
になった。
祖父があの時逝かなかったのはまだ役目があったからなのかもしれない。
理由は後からついてくることが多いが、それで納得できれば良いと思う。

それでも、思うことは寝たきりで生きるよりポックリ逝く方が良いのではないか
ということである。
残された方の考え方ひとつだが、残された方の苦労を考えると私はポックリ逝き
たい。でもまだ死ねない。



日本の社会福祉の破たんや経済成長鈍化の理由の一つに医療の発展があると思う。
長生きできる。
フィリピンでは全くの逆なのである。
医療が高価なので受けられない人たちがたくさんいる。特に命にかかわる医療は
高額だ。
だから、血管が詰まっても生き延びられる人は梗塞の重度によっても違うが日本
より少ない。
日本よりポックリ逝く度が高いのである。
逆に日本は死ねなくてポックリ寺があるという。

日本人は健康に気を使って食生活を考える。
フィリピンは全く逆で脂と炭水化物、塩を食べたい分だけ摂る。
ポックリ逝きやすい状況を作っているのだ。

その代わり、子どもはたくさんいる。
たくさんの子どもがどんどん生長して働いて、日本より寿命が少ない老人たちは
ポックリ逝く。

日本では子どもが少なく、老人が多い、しかも老人を働かせている。若い人たち
には仕事がないという。

どちらが良いのか。

私はモノの流れのことを便通によく例える。
たくさん食べても便通が良ければ溜まることもなくエネルギーがどんどん出てくる。
少ししか食べていなくても便秘なら内臓が重たくなる。
経済もいっしょである。お金が流れてお金に意味が出てくるのである。タンス貯
金は安心と不安しか生まない。



先日亡くなった知り合いは、私の両親より若い。
私もそろそろ両親の死を覚悟して準備しなければいけない年になった。
そう言えば、子どももでき、親と同じ道を歩んでいる。
私が小学生のころ、片方の祖父は痴ほうが出てきた。
その数年後、祖母が逝き、さらに数年後、祖父が逝った。
そして、もう片方の祖母が逝って祖父も逝った。
私の両親が40代後半から60代までの期間の出来事だ。
私もその年に近づいてきている。
どれだけ両親との時間を作られるか。
今は、義理の両親もいる。



ある人が言った。

親孝行は子が生まれた時に完了している。と。

なかなかそうである。
もしかしたら今が最高に幸せな時かもしれない。
子どもが無邪気に笑い、成長する。

ドイツ語で結婚のことをHochzeitと言う。
Hoch高いという意味とZeit時間、時、という単語が合わさってできている。
結婚が人生の最高の時だということらしい。

なかなかドイツ人も面白い。



憎まれっ子世に憚る。ということわざがある。
憎まれる人はなかなか死なないらしい。死ねないらしい。
この世ですべきことをこなしていないからなのかもしれない。

この世で悪いことしていると地獄に落ちると言うが、憎まれっ子がなかなか死ね
ないのはもしかしたらこの世は地獄なのかもしれない。

それでも、地獄に仏でこの世には素晴らしいことはたくさんある。

先日、キリスト教の勧誘にあった。
人間は生まれた時から罪人でそれを神さまに謝って良いことをして償っていかな
ければならないのだという。そのために、自分の中に神さまを受け入れ なさ
い。と。

違和感があった。
あんな無邪気に笑う赤ちゃんがすでに罪人であることは考えられない。
どんな悪人でもあんな赤ちゃんの時があったはずだ。
ということはこの世が罪を作る人たちを生み出しているのではないかと思う。



ちょっと立ち止まって、思っていたことを吐き出した。

Comments

Popular posts from this blog

弁当肥という技術

台風通過中で季節外れの大雨です。 今季の稲ですが、なんだか出穂が少ないように思いました。 肥料なのか水なのか。 肥料は少なく1回多めに散布しました。 総量は同じですが、1回の量は減らしています。 イネがほしいときに少なかったのかもしれません。 ただ、丈は良いのです。 灌水もできる限りしました。 しかしながら、穂の数が少ないのです。 有効分げつが少ないという言い方をします。 なぜなのか。 調べてみると肥料が少ないとのことでした。 その中で ”弁当肥” という言葉がありました。 何という意味なのか。 田植え5日前くらいに追肥をして田植え後の栄養にする肥料だそうです。 それによって田植え後の活着を良くして生長させるようです。 田植えに弁当を持っていくことから弁当肥と言うらしいです。 そう言われるとフィリピンでもそれをしています。 忘れましたが現地でも言葉があるくらいです。 最初、やる理由がわからなかったのです。 田植えしたら早く元気になると言われました。 体内に栄養を保持してるのか疑問でしたし、ちょっとおなかがすいている方が頑張って根を伸ばすだろうと思っていました。 ですので育苗の時には肥料を少ない目にやっていました。 ひょっとしたらそれが理由なのかもしれません。 なかなか思ったようにはいきません。 皆がしている技術には理由があることを改めて思い知らされました。 農業において引く、減らすというのは慎重にしなければならないようです。 … 調べるのは次回、来年の雨季になってしまいます。 準備はできるだけしなければいけないのですが、なかなか結果を見て対処しなければいけないことが多いです。

今年の挑戦 (1) トマト

今年の挑戦の一つはトマト生産です。 日本のような施設園芸には到底かないませんが、フィリピンにあるローカルの品種よりもちょっと品質の良いトマトを生産する計画にしています。 フィリピンのトマトの品種はいろいろありますが、一般的なものは皮が厚くて甘くありません。それよりも、まずちょっと良い品種でおいしいトマトを良い収量で作るのが今年の目標です。 今までいろいろな甘い品種のトマトを試してきましたが、ほとんどのものは途中でウイルスにやられてしまいました。大きくて甘いトマトはなかなか難しいのです。 今回の品種は最初、ウイルスにかかったものは少なかったのですが、だんだん増えてきています。一般的に虫や樹液(野菜でも樹液というのかどうか知りませんが)を介して伝播します。 トマトに限らず、初めて栽培したものに関してはそんなに害虫がつきません。それもあって良かったのかもしれません。 2作3作続けていくと熱帯の高温で繁殖しやすい虫はどんどん住処を移動して増えていきます。日本では冬があるので一度、虫の繁殖がリセットされますが、フィリピンではそうはいきません。年がら年中虫は繁殖し放題です。それをどうコントロールしていくか。トマトに限らず、農業全般的に課題です。 … 生産技術はまだまだ低いですが、良くしていきます。

Rice 2013

Thank you so much for tasting our rice. We sold out all harvest 2013. Rice, this season will be available on March. We will have Japonica variety and local variety. Please taste our rice again :)