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Showing posts from October, 2016

台風後も無事立っています

写真は台風前ですが、2つの台風の後も無事に立っていました。 面積はすごい小さなところなのですが、収穫前の台風は心配になります。 心配したところで今更どうしようもないのですが、やっぱり心配になります。 台風が明けてから圃場を見てホッとしました。まだ立っていたのです。 周りはほぼ収穫を終えていましたが、収穫前には広く倒伏していました。 昨年よりも倒伏の割合が多い気がします。 明日は我が身なので何が原因なのか考えているところです。 周りの農家は大きくなってから長雨だったからというような話をしています。 どうなのでしょう。 天気とそのタイミング、肥料と水だとは思っています。 私の圃場は一部、倒伏があっただけなので天気のタイミングではなさそうです。 あとは秘密(笑) 秘密にすることもないのですが。 きっと、 田植えの間隔 も大事だと思っています。 … 収穫まであと数日。晴れが続きそうです。

台風通過。また来ますが…

台風21号、Karenさんは早くに南シナ海の方へ抜けていきました。 大きな台風かと思っていましたが、何とか大きな被害もなく通過していきました。 山の方は強い風雨で大変なようです。 私の圃場では収穫2週間前のイネと野菜があるのですが、イネの倒伏も今のところなく、被害は小さそうです。 イネも小面積なので倒伏しても大きな被害にならないという安心感はありました。 日本の場合、1年に1作なので収穫前の台風などは非常に大きな被害をもたらします。 フィリピンの場合、同じく大きな被害なのですが、2作あるので次がある。というような気持になってしまいます。 しかも、今年の私の圃場の作付はひと月ごとにずらしたので収穫間近の台風でもその圃場のみの被害でほかには良い雨となってしまいます。 そう考えていると、台風が来てもどうしようもないし、今がだめでも次良ければ良いというような考え方になってしまいます。 それでも、被害がないことには越したことがありません。 … 天災に対して考え方が変わってきました。 どうしようもありません。 準備することはできますが、来てしまうことに対してはどうしようもないですね。

すくすく成長中

子どもを見ているとすべての行動に夢を感じてしまいます。 最近本を広げられるようになったのですが、見ていると本というものは夢と驚きに満ち溢れているような気がしてしまいます。 ページを開くたびに違う絵があってワクワクします。 テレビ、家にはテレビはなくyoutubeですが、いろいろな世界がインターネットを通してコンピューターの中にやってきます。 文字が読めるようになればもっと世界は広がります。 物に対しても恐る恐る触ったりつかんだり食べたりします。 食べ物もまだ味の濃いものはダメですが、野菜や果物を食べています。きっと全部味が違って面白いのだと思います。 親の動きを真似します。いろんなところに自分で行こうとします。行けないと泣いたりします。 まだまだ行動に制限はありますが、できることが増えてきました。 そんな子どもを見ていると、自分もまだまだ未熟だなと感じます。驚きが減っておもしろいこと興味があることが減ってきました。惰性で生きているような気にもなります。 それでも農場を経営していて新しいことはたくさんあります。そういった意味ではまだ感覚が刺激されているかもしれません。 … まだまだ世界は広いし、探求することはたくさんあります。ネタを拾って発見する生き方をしたいと心がけたいですね。

収穫も終わり一段落。

稲作は収穫を終えました。次の圃場の収穫は来月初めですが、少ししかありません。その次が11月中旬ごろのもち米。 種まきは再来週になるのでちょっと時間ができました。 この間に野菜と次作の予定を立てます。 精米するおコメは有難いことにほとんど販売できました。 多収品種は人並みには収穫できたと思っています。その代わり、値段がつきませんでした。 次回の課題です。 増収を目指すのか多品種を作付するのか。 今季は天候に恵まれたのか周りの圃場は倒伏が目立ったのですが、私の圃場は大きな問題とはなりませんでした。 単収の目標もできましたし、規模拡大の目標も大体できました。 今年になってやっと、先が見える状況になってきました。 今まで暗中模索だったのが、少し光明が出てきた気持ちです。 … 人がついてきてくれたおかげでだんだんと土を触る機会が減ってきました。 良いことなのかもしれませんが、農業じゃなくなってきている気がしています。 農業経営はしています。農作業は少ししかしていません。 1人ではできない規模になっていることは確かです。人を使わなければなりません。その中でどの部分でどれだけ自分が出せるのか。 新しいことを始めていかなくてはならない身分になってしまいました。

家族と人生と幸福

圃場では収穫やら植え付けやらいろいろ仕事があります。 私は現在のところ法人化する気はありません。する理由が未だないからです。 血のつながっていない家族経営を行なっています。 最近家族というものを気にしています。 結婚して子どもができたということもあるし、圃場では家族経営的なことをしています。 一方、両親は喧嘩していて家庭内別居らしいのです。いつも喧嘩しているから仕方ないのですが…。 … 家に帰って家内と子どもと寝るとき最近思い出すのが自分の小さかったころ家族で一緒に寝ていたことです。 布団を引いて相撲ごっこをしたりプロレスごっこをしたり。 どこで寝るのかで言い争ったり。 押入れで寝てみたり。 布団の向きを変えてみたり。 それが大きくなって自分の部屋で寝ることになり、一人暮らしをすることになり、新しい家族と一つのベッドで寝ています。 将来、自分の子どもも同じように育って巣立っていくのかと思うと寂しい気がします。 それを自分の両親は経験したのですが、喧嘩が絶えません。 傍から見ると老いて人生の終着点を見なければいけない年だと思います。体もだんだん不自由になってきます。 なのに、長年、人生のほとんどを一緒に生きてきた人と喧嘩ばかりするのはどうなのかと思ってしまいます。 終わり良ければすべて良し。ではないですが、幸せだったと思って逝くように工夫しなければなりません。 そこにどうやって持っていくか。子として考えているわけですが、なかなか見いだせていません。 どうしようもないから自分はそんな風にならないように。と解決策から逃げ出しています。 一方で、自分の家族を養っていくため、仕事もしています。 仕事をしていると雇っている人たちの生活まで考えなくてはなりません。 一緒にご飯を食べて一緒に仕事をやっていると家族みたいなものになってきます。 彼らには彼らの家族がいてそれを養うために仕事をしています。 だから私は彼らの家族も養っていかなくてはなりません。 100%は無理でも生活が不自由なくできるように考えています。 何のために仕事をしているのか。 いろいろ理由がありますが、家族を養って社会に貢献できるような持続的な事業を遂行することだと考えています。 それがきっと自分の幸せにつなが