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反論 | 平均年収2500万円、「レタス長者」の川上村 実態は中国人実習生に過酷労働強いる「ブラック農家」? : J-CASTニュース

平均年収2500万円、「レタス長者」の川上村 実態は中国人実習生に過酷労働強いる「ブラック農家」? : J-CASTニュース:

決してブラック企業、ブラック農家の方を持つわけではないですが、思うところを綴っていきます。

記事にもあるように川上村のレタス生産は外国人実習生(労働者かもしれませんが)で成り立っています。
なぜかというと川上村では1年のうち6ヶ月くらいしか農業生産できません。冬は土が凍るのです。
ですから冬場に稼げない分を夏の間に稼ぐのです。ですから記事にもあるように朝日の出前から収穫してします。
まず、ここの部分において。実習生は記事通り、夏場長時間仕事をしています。そのかわり、冬場は非常に楽なのです。1年平均すると普通になるように計算されていてそれ以上だと残業代が支払われています。そうしないと違法なのです。

第2にどうして中国人実習生が"日本で"訴訟を起こすのか。
日本でのことなので日本で起こすのは普通なのかもしれません。
しかし、実習制度は今に始まったことではありません。川上村の農家は今に忙しくなったわけではありません。
それは、実習制度を用いて中国で儲けている人たちがいるからです。もし、実習生の権利を主張するならば、日本だけではなく、中国でも訴訟を起こさなければなりませんが、それはしていないようです。
ちなみに農家によっては実習生の方が時給が高いところもあるそうです。

入管の仕組みもおかしいのです。農業を他の工業と同じように最低賃金、労働時間等同じ水準で法律を施行しているのです。実習生なのに労働時間というところですでにおかしいのですが。

川上村のレタス農家の収入が2,500万円あるそうで、それに対してあり得ないとおっしゃる他地域の農家もいるそうです。
私は日本では農業経営したことありませんので細かい数字は分かりませんが、他地域の農業者は川上村と同じくらい仕事をしているのかという疑問があります。
私の実家である京都の山奥では決してそうではありません。国からの補助金に頼り、一所懸命生産していません。

日本にある現在の問題が現れているのだと思います。
外国人実習生に対しては最低賃金の支払いがあります。自国からの運賃、事前に日本語講習を自国で受けている費用も農家が出しています。そうすると日本人を雇うより高いのですが、それはしません。
記事にもあるように日本人がそれだけ働けないからなのです。
それならば、体力のある人は望まれているわけですからそれだけの対価を支払えるようでなければなりません。
現在、パソコンの前で事務仕事をしている人の方が畑で仕事をしている人より給料が高いのです。
そして、誰もがそういった仕事に就きたがるので体力勝負の仕事は日本でもまだまだたくさんあるのです。誰もしたがらないだけで。そうすると体力のある人たちは価値が出てきて高給でなければなりません。
が、そうではありません。

どうしてそこまで人件費を削らなければいけないのか。
食料の価格が他の物価に比べて極めて安いのです。
フィリピンでは食料の物価が高いのです。記事にあるレタスならば日本の夏(フィリピンの雨季)に置いてはフィリピンの方が高いのです。日本とフィリピンとの物価水準を比べれば明らかに高給なのです。ですが、品質は日本の方が断然良い。
米においても同じです。日本では300円/kgくらい。フィリピンでは40-50ペソ/kgくらい。現在300円といえば120ペソくらいです。たった3-4倍しか違わないのです。
これは生産技術によって生産効率が高いからなのです。
それだけ日本の農家は切磋琢磨して頑張っているのです。
それにもかかわらず消費者は安かろう良かろうを求めています。
世界の中で一番商売しにくいのは日本だと思います。基準、求める品質が極めて厳しいわりに、それだけ分高値で買ってくれないのです。
消費者が安心して安い食料品を毎日同じ品質で購入できることは生産者、流通者、販売者が頑張っているからなのです。それに対しての対価は消費者が支払わなければなりませんが、現在の日本において十分になされていません。



今後、日本政府は移民を受け入れるそうです。
日本人が日本で職に就くには、今までは他の日本人と勝負しなければいけませんでしたが、今後、世界の人たちと勝負しなければいけない時代がやってきます。
フィリピンには日本人より体力がある若者が職もなく大勢います。彼らと勝負しなければしけません。英語が十分にできて賢い若者がたくさんいます。彼らと勝負しなければいけません。
インド人は計算力が非常に高いといいます。

日本人はどの部分で世界の人たちと勝負できて必要とされる存在となるのか。
日本はこういった部分で方向性を持って若者を鍛えていかなくてはいけないのですが、現在そうではありません。



記事の反論から始まりましたが、変な方向へ飛んでいきました。



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