と、思ってしまいました。
世間一般は自由は良いことだと認識しています。
自由でないとだめらしいという風潮です。
確かに自由でなければなりません。
大昔から自由を得るために人間は行動してきたと思います。
食べ物を探さなくても良いように農業が始まりました。
遠くへ行けるようになり、空を飛べるようになり、多くのことで制限されていたことから解放されて自由になってきました。
それが自由なのです。
朝何時に起きても良いのは自由ではありません。
自分のしたいことを好き勝手にすることは自由ではありません。
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そう考えると自由というものはできなかったことを頑張って得たものに対して自由を得たというのかもしれません。
私は小さい時から国語がダメでした。今でもダメです。明日もダメでしょう。
なので、今更ながらに自由という言葉について考えてしまいました。
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フィリピンでは外国人割引なのか比較的何でも自由が効きます。悪くやれば好き勝手にできます。
フィリピン人は子どもを甘やかしすぎます。一説によると、大人になると大変になるから小さい時、できる時にやりたいことをやらせたい。ということらしいです。
良いことでもあり悪いことでもあるのですが、単純に考えるとただのわがままに育ってしまうと思いました。
子どもも学校に行きません。よく聞く答えは、学校で友だちと仲がうまくいかない。というものです。
そんなことで学校に行かないでもよいという親も親だと思いました。
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日本は昔、世襲というもので子どもの職業は親と同じでした。農家の子は農家。坊さんの子は坊さん。武士の子は武士。将軍の子は将軍。
現在は、自分の能力で何してもいい時代です。
私は、家は農家ではありませんが、農業がしたくて農業をしています。
はっきし言って大変です。農家の子どもは子どもの時から農業に接しています。私は大きくなってから始めました。
基礎が全然違います。あっちは感覚で分かっていますが、私は経験中です。
そこで思いました。果たして職業選択の自由というのは100%正しいことなのかと。
職業選択できて私は農業ができました。それとともに農家の子以上に苦労をしています。
先代からの技術も一から勉強中です。
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これから、どんどん壁が壊され、自由になっていきます。今までできなかったことがどんどんできるようになります。
そうすると、未来はどうなるのでしょうか?
良い自由と悪い自由があります。
悪い自由で進むと混沌としてしまいます。
良い自由を選択することとはどういうことなのか。
その一つは律というものだと感じました。
自由でありながらエントロピーを増大させない規律。
それは、昔からしてきたことであり、それプラス自律し、日々精進していくことにあると感じています。
芸術にしても技術にしても素晴らしい技というものは自由から産み出されるものではなくて制限されたものの中から産み出されるものだと思っています。その進歩に制限からの解放が含まれていると思っています。
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当たり前のことでした。内容はないよう。
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