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やめることと切ることと死ぬこと

I thought that stopping is same as dying.

Before, especially when I joined this project, I sometimes thought I wanted to be drop form this project.

But my friend told me “Don’t give up”

Now I can understand it.

The time, I didn’t give up. So now I can experience a lot, I can see a lot, I can learn a lot, I can meet a lot people.

It will be happened even in the future as long as I don’t give up or stop.

Dying is the last decision in your life.

Of course, when you die, your life will be end.

I thought it is same as stop anything, for example work.

If you resign your work, it is end. you will never experience from the work, you will never learn anything from the work.

That’s why I thought it is same as your life.

Even chance/fate is same as that.

If you cut the chance, it is end.

If you keep the fate, wonderful things will be happened.

は、同じことかもしれないと思った。

仕事をして、やめたいと思ったことは何回かあった。最初のほう、特に。

でもやめてなくて良かった。いろんなことを経験して、いろんなことを学んで、いろんな人と出会うことができたから。

やめたいと思ったとき、絶対やめない方が良いって言われた。

確かにそうだった。

これからもそうだと思う。

・・・

死ぬことは人生の中で一番の最終手段。死んだらおしまいだから。

やめることも同じことだと思った。何かするということは、人生のうちの一部だけれど、それをやめるということは、その一部を終わらせるということで、死ぬこととよく似ているかもしれないと思った。

生きていれば、良いことはきっとやってくるってよく聞く。それと同じで、仕事にしても何にしてもつらくてもやめないと良いことはきっとやってくる。

縁も同じかもしれない。切ったら終い。でも、切らないで、ずっといると、良いことがやってくると思う。

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