I thought that stopping is same as dying. Before, especially when I joined this project, I sometimes thought I wanted to be drop form this project. But my friend told me “Don’t give up” Now I can understand it. The time, I didn’t give up. So now I can experience a lot, I can see a lot, I can learn a lot, I can meet a lot people. It will be happened even in the future as long as I don’t give up or stop. … Dying is the last decision in your life. Of course, when you die, your life will be end. I thought it is same as stop anything, for example work. If you resign your work, it is end. you will never experience from the work, you will never learn anything from the work. That’s why I thought it is same as your life. Even chance/fate is same as that. If you cut the chance, it is end. If you keep the fate, wonderful things will be happened. | は、同じことかもしれないと思った。 仕事をして、やめたいと思ったことは何回かあった。最初のほう、特に。 でもやめてなくて良かった。いろんなことを経験して、いろんなことを学んで、いろんな人と出会うことができたから。 やめたいと思ったとき、絶対やめない方が良いって言われた。 確かにそうだった。 これからもそうだと思う。 ・・・ 死ぬことは人生の中で一番の最終手段。死んだらおしまいだから。 やめることも同じことだと思った。何かするということは、人生のうちの一部だけれど、それをやめるということは、その一部を終わらせるということで、死ぬこととよく似ているかもしれないと思った。 生きていれば、良いことはきっとやってくるってよく聞く。それと同じで、仕事にしても何にしてもつらくてもやめないと良いことはきっとやってくる。 縁も同じかもしれない。切ったら終い。でも、切らないで、ずっといると、良いことがやってくると思う。 |
台風通過中で季節外れの大雨です。 今季の稲ですが、なんだか出穂が少ないように思いました。 肥料なのか水なのか。 肥料は少なく1回多めに散布しました。 総量は同じですが、1回の量は減らしています。 イネがほしいときに少なかったのかもしれません。 ただ、丈は良いのです。 灌水もできる限りしました。 しかしながら、穂の数が少ないのです。 有効分げつが少ないという言い方をします。 なぜなのか。 調べてみると肥料が少ないとのことでした。 その中で ”弁当肥” という言葉がありました。 何という意味なのか。 田植え5日前くらいに追肥をして田植え後の栄養にする肥料だそうです。 それによって田植え後の活着を良くして生長させるようです。 田植えに弁当を持っていくことから弁当肥と言うらしいです。 そう言われるとフィリピンでもそれをしています。 忘れましたが現地でも言葉があるくらいです。 最初、やる理由がわからなかったのです。 田植えしたら早く元気になると言われました。 体内に栄養を保持してるのか疑問でしたし、ちょっとおなかがすいている方が頑張って根を伸ばすだろうと思っていました。 ですので育苗の時には肥料を少ない目にやっていました。 ひょっとしたらそれが理由なのかもしれません。 なかなか思ったようにはいきません。 皆がしている技術には理由があることを改めて思い知らされました。 農業において引く、減らすというのは慎重にしなければならないようです。 … 調べるのは次回、来年の雨季になってしまいます。 準備はできるだけしなければいけないのですが、なかなか結果を見て対処しなければいけないことが多いです。
Comments