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農業生産者はどれくらい必要なのか

フィリピンで町を歩いているとたくさんの店があります。
サリサリストアというものがあってそこではお菓子から洗剤、ジュースなどいろんなものが売っています。しかも全部小袋になっていて使い切れるような商品ばかり置いてあります。
食堂というほど立派なものではありませんが、食事ができるところもたくさんあります。そこで食べられますし、そこも小分けして袋に入れてテイクアウトできるような仕組みがあります。
その二つがあれば家に物がなくても生きていけるんじゃないかというくらいに庶民の物置代わり、台所代わりになっています。
ほかにも機械の修理屋さんなんかもたくさんあります。
それらはすべて個人商店であります。一つの小さな町にどれだけあるのだろうかというくらいにたくさんあります。

それを見ていると農家も同じなんだなと見えてきました。農家も言ってみれば個人商店です。



今後、こういった小さな個人商店は生き残っていけるのかと考えています。
現在、フィリピンは高度成長と言われています。実際のところはわからないですが、物価はどんどん上がっています。なんとなく、日本と比べてしまうわけです。
日本でも商店街がどんどん廃れていきました。食堂もどんどん減っていると思います。
駄菓子屋さんなんかも減っています。
コンビニやスーパー、チェーン店などがどんどん増えてきました。
フィリピンでもコンビニはどんどん増えています。ファストフード店もどんどん増えてきています。

そうすると小さな個人商店は減っていくのが誰もが考えるところであります。
そういったところはどうやって生き残っていくのか。一つには大きくしなければいけないのだと思います。
もしくは大型店に負けない何かが必要でしょう。

農家も同じようになっていくのかもしれません。
統合していって大きくしていかなければ生き残れないのかもしれません。

どう大きくしていくのか。特に農業は倍々ゲームで増やせられる商売ではありません。一般的に大きくすると単収が下がっていく傾向にあります。目が行き届かないのが一つあります。
大きくすることで得られるメリットは何なのか。
コストを下げられるということと物量を大きくすることで強くなれることだと思っています。



どれくらいの規模だと生き残れるのか。小さい農家はどうやって生き残っていくのか。
将来を決めていく上での課題となっています。

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