フィリピンにいると貧困ビジネスを展開している団体をたまに見ます。
貧困ビジネスというと聞こえが悪いし、彼らもそう思っていないと思います。
けれども、傍から見ているとそんな風に見えてしまいます。
田舎へ行ってホームステイというのか交流する旅行。
都会は大変だからと言って、伝統文化は大事だからと言って発展させたくない人たち。
有機農産物を食べたいから農薬も化学肥料もやるなという人たち。
だいたいはお金持ちのエゴなんだと思ってしまいます。
経済社会から離れたところで住んでいる人たちも携帯電話を使うし、テレビも見る。
きっとiphoneだって使ってみたいし、写真だって撮りたい。
いろんなところに旅行にもいきたいでしょう。
それは経済活動をしてお金を手に入れてそれと交換しなければなりません。
しかもそういったものは自然から得る生産物が非常に多くなければ得られないものです。
例えば、スマホ。例えば10,000ペソとしましょう。それを買うためには50ペソのコメなり野菜なりを200kg販売しなければなりません。
200kg販売してもコストを入れていないのでコストを入れると400-500kgもしくはそれ以上販売しなければなりません。
その収量を得るには面積を必要とするか、単収をあげなければなりません。もしくは50ペソでなく100ペソ200ペソで販売しなければなりません。
それを行なうためにはどうすれば良いのか。
化学肥料を使わないでどれだけの有機肥料を投入しなければならないのか。
それに対してのコストはどうなるのか。
農薬を使わないでもし、病虫害にあうとどうすれば良いのか。誰がそのリスクを負うのか。
大面積を機械を使わず、人力、畜力で行なうにはどうするか。時間と手間をかけています。それは労働賃が機械を使うより安いからです。それと働いている人たちの現金収入になるからです。日本のように高い人たちを雇っていると絶対に合いません。だから彼らは機械を使うのです。
…
有機農業を反対しているわけではありません。素晴らしいことだと思っています。
伝統文化を放棄していいとは全く思っていません。絶対に残さなければなりません。
ただ、それを遂行するのに本当にそこに住んでいる人たちのためになっているのか。そして、どこの誰が恩恵を受けてどこの誰が儲けているのか。
明確にしなければなりません。
田舎に行ってこんな風な生活をしたいという人は多々います。
じゃあ、そこに一生住みますか?と聞くとそういうわけではありません。
たまに体験するのが好き。というのが関の山です。
もし、仮にずっと住み続けたとしても都会に出たくなります。パソコンを使いたくなります。
じゃあ、そこに住んでいる人たちも同じじゃないでしょうか。
そのためには経済活動が必要なのです。
有機農業をしてもそうです。家庭菜園ぐらいなら楽しいのです。
本当にそれで収入を得るためには大変なのです。
草取り、堆肥を作って、病虫害のリスクをかぶって、販路の開拓、いろいろあります。
それを全部しなければなりません。
一般的に大変なことの方が多いのです。
そこまで考えている消費者はどれだけいるのか。
さらに言えば出資者はどれだけいるのか。
地域に根付いた活動をしている人たちがそこの地域のものを食べなくてどうするか。同じ生活をできなくてどうするか。
…
それを真剣に考えて活動している人たちはたくさんいると思います。けれど少ないながらも似非活動家、似非ボランティアも存在します。
そんな方々を見ると羨ましくなってしまいます。
そんなことでお金が儲けられてみんなに知られてそれが実際だと思わせてしまえるところが。
貧困ビジネスというと聞こえが悪いし、彼らもそう思っていないと思います。
けれども、傍から見ているとそんな風に見えてしまいます。
田舎へ行ってホームステイというのか交流する旅行。
都会は大変だからと言って、伝統文化は大事だからと言って発展させたくない人たち。
有機農産物を食べたいから農薬も化学肥料もやるなという人たち。
だいたいはお金持ちのエゴなんだと思ってしまいます。
経済社会から離れたところで住んでいる人たちも携帯電話を使うし、テレビも見る。
きっとiphoneだって使ってみたいし、写真だって撮りたい。
いろんなところに旅行にもいきたいでしょう。
それは経済活動をしてお金を手に入れてそれと交換しなければなりません。
しかもそういったものは自然から得る生産物が非常に多くなければ得られないものです。
例えば、スマホ。例えば10,000ペソとしましょう。それを買うためには50ペソのコメなり野菜なりを200kg販売しなければなりません。
200kg販売してもコストを入れていないのでコストを入れると400-500kgもしくはそれ以上販売しなければなりません。
その収量を得るには面積を必要とするか、単収をあげなければなりません。もしくは50ペソでなく100ペソ200ペソで販売しなければなりません。
それを行なうためにはどうすれば良いのか。
化学肥料を使わないでどれだけの有機肥料を投入しなければならないのか。
それに対してのコストはどうなるのか。
農薬を使わないでもし、病虫害にあうとどうすれば良いのか。誰がそのリスクを負うのか。
大面積を機械を使わず、人力、畜力で行なうにはどうするか。時間と手間をかけています。それは労働賃が機械を使うより安いからです。それと働いている人たちの現金収入になるからです。日本のように高い人たちを雇っていると絶対に合いません。だから彼らは機械を使うのです。
…
有機農業を反対しているわけではありません。素晴らしいことだと思っています。
伝統文化を放棄していいとは全く思っていません。絶対に残さなければなりません。
ただ、それを遂行するのに本当にそこに住んでいる人たちのためになっているのか。そして、どこの誰が恩恵を受けてどこの誰が儲けているのか。
明確にしなければなりません。
田舎に行ってこんな風な生活をしたいという人は多々います。
じゃあ、そこに一生住みますか?と聞くとそういうわけではありません。
たまに体験するのが好き。というのが関の山です。
もし、仮にずっと住み続けたとしても都会に出たくなります。パソコンを使いたくなります。
じゃあ、そこに住んでいる人たちも同じじゃないでしょうか。
そのためには経済活動が必要なのです。
有機農業をしてもそうです。家庭菜園ぐらいなら楽しいのです。
本当にそれで収入を得るためには大変なのです。
草取り、堆肥を作って、病虫害のリスクをかぶって、販路の開拓、いろいろあります。
それを全部しなければなりません。
一般的に大変なことの方が多いのです。
そこまで考えている消費者はどれだけいるのか。
さらに言えば出資者はどれだけいるのか。
地域に根付いた活動をしている人たちがそこの地域のものを食べなくてどうするか。同じ生活をできなくてどうするか。
…
それを真剣に考えて活動している人たちはたくさんいると思います。けれど少ないながらも似非活動家、似非ボランティアも存在します。
そんな方々を見ると羨ましくなってしまいます。
そんなことでお金が儲けられてみんなに知られてそれが実際だと思わせてしまえるところが。
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